加藤 千蔭 かとう ちかげ
   

       早春河と
         いふことを
             よめる
              橘千蔭 

   東路は
     はるの日かり
       のはやければ
      こほりながるゝ

         多摩河の
             水
47.3p×32.7p

享保20年3月9日(新暦1735年4月1日)生〜文化5年9月2日(新暦1808年10月21日)歿  
 歌人、国学者。本姓は橘、字を徳與麿といい、芳宜園、朮園、逸樂窩、耳梨山人、江翁などと号した。
 書は少年時代から好んだらしく、はじめは松花堂流を学んだ。のち行成、佐理などといわれる上代様に直接私淑して一家を成した。とくに假名書きに長じ、人よんで千蔭流という。当時の国学者の中では、本格的に書道に打ち込んだ唯一人の人であったと言える。一見迫力の弱い、きれいごとに終わった感のある書風にみえるが、線は強い。そっくりの「千蔭」の署名のある、線が聊か緩い贋物が多く出回っており、注意が必要。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%8D%83%E8%94%AD
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http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tikage.html
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he04/he04_01788/index.html


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